出雲駅伝と最近の不思議なできごと

学生3大駅伝の1つ、出雲駅伝までもう一週間をきった。

この10月の出雲駅伝から、毎年各大学の熱い戦いがスタートし、11月の全日本大学駅伝、1月の箱根駅伝へと続く。

 

出雲駅伝が行われる体育の日は統計的に晴れの日が多いと母が毎年言っている。

統計は案外本当らしく、私が2年前、初めて現地で出雲駅伝を観戦した日も見事な秋晴れだった。

出雲駅伝当日、スタートの出雲大社にある鳥居から、まっすぐ選手が走っていく道を見たとき、なんだかものすごく神々しい景色だと思った。周りに高い建物はなくて青空が広がっていて、目の前の大きな鳥居と、そこから真っ白な坂道がまっすぐ下った先にもう1つ鳥居が見える。スタート地点に立った選手はあの遠くの小さな鳥居を見て身を引き締めるんだろうな。あの鳥居に向かって走っていける選ばれし選手たちは、うらやましいなあと思った。

あの秋晴れの中見た景色は、もう1度見たいとずっと思っているくらい好きだ。

 

1年は本当にあっという間で、もう三大駅伝が始まる季節なのか、と驚く。

今年は数年ぶりにフルマラソンを走った。地獄の30~35kmを除けば笑、すごく楽しかった。私、まだまだ走れるんだ、なんだかんだ走ってるの好きなんだろうな~とか考えながら走っていた。自分が最近頑張って走ったぶん、出雲駅伝も楽しみだ。

 

フルマラソンを久々に走ってから、少し不思議な出来事・気持ちが続いている。

この前、両足を切断する夢をみた。切断というか、切れ目を入れられて、あとは骨さえ切れば切断されちゃう状態。(突然グロい話でごめんなさい。)1件目の病院でその状態までしてもらったあと、なぜだかたらいまわしにされて、「切れめってこのまま放置して大丈夫なん??」と思いながら空いている病院を探していたら、目が覚めた。

真っ先に足を確認して、ほっとした。

 

そして今週の頭、朝、いつも通る歩道橋からビル群の間に見える薄暗い曇り空が、何故か分からないけれどものすごく、夏合宿の朝練の時の空気に感じた。普段は絶対に起きない早朝、まだ薄暗くて、夏のはずなのに少し寒くて、でも、すごく空気が澄んでいるあの感じ。

歩道橋の上にいたから、地上よりは空に近いところにいたけれど、周りを見ればビル群だし、眼下には車がびゅんびゅん飛ばしている道路があって排気ガスにまみれた街のはずなのに、なぜだかあの日だけ長野の山の中の澄んだ空気を思い出して、少し幸せな気持ちになった。

 

あの夢も、突然合宿を思い出したのも、風邪薬のせいな気がしている。

久々に走ったフルマラソンの後、ぷつっと今年一番の目標が終わった安堵なのか風邪を引いた。薬を飲んでも中々治らなくて、毎日少しふわふわ浮ついた気分でいる。

風邪を引いていると、頑張って勉強せず何も考えずに布団に入っても許されるなと思ってしまう。風邪を引いていれば、面倒なことは風邪のせいにして、軽くあしらおうと思える。風邪を引いていれば、何もかもが許される気がして、別にこのままでいいやと投げやりになれる。そして、今年のおみくじが凶だったことをまた思い出した。

もうそろそろ、今年の凶は終わったと思っていたのにまた戻ってきた。

そろそろ凶とおさらばしたい。もうすぐ終わるはず。はやく来年が来ますように。

そんな最近の憂鬱な朝も、やっぱりニヒリズムに私は救われている。

 

話がぶっ飛んだけど、台風の影響が無く、出雲駅伝が無事開催されますように。

MGCへの期待 その2

連日の投稿になるけれど、MGCに向けて私の超個人的黄金世代!笑の、学生駅伝の思い出にもう少しだけ浸りたいと思う。こんな機会滅多に無いから・・・。今日は設楽悠太と服部勇馬について書きたい。

 

設楽悠太

設楽双子兄弟の弟。私は正直弟悠太だけでなく、兄啓太に関してもなぜか思い出すエピソードが少ない。二人とも東洋大学にいたときから東洋の不動のエースだった。それは確かなことだけれど、ただ、それ以上のことがあまり記憶に残っていないのだ。印象に残っていないのは常に安定して速いのと、辛そうな顔をして走るイメージが無いからだと思う。必死感を感じることがない。2018年の東京マラソンでマラソン日本男子記録をなんと16年ぶりに更新した訳だが、当時ゴール直前で見た彼の表情はかなり落ち着いていて、なんだか余裕さえあるように感じられた。(むしろ余裕だったんじゃないかと思ったりする。笑) 双子ゆえに顔つきは兄弟でかなりそっくりで、学生時代からあまり見分けられていなかったのが本音だ。ただ、改めて振り返ってみると学生時代の設楽兄弟に関する私の記憶は兄啓太の印象が多かったはずだ。彼らが箱根ラストイヤーの年、山の神柏原が抜けたあとの大役、5区山登りを担当したのも兄啓太だった。エース級選手は山でもやっぱり安定してるんだな、と当時思った。

記録を一番に突破するというのは並大抵のことではない。記録が一度破られると、一気に色々な人が続けて記録を破り始める。一番に破ることが最も難しいことなのだ。それをやってのけたのは学生時代活躍していた兄啓太ではなく弟悠太だった。兄弟となるとどうしても、下の子が上の子を抜かす印象が強い。双子にもその法則が効くのかは分からない。ただ、スポーツ選手の兄弟といえば下の子が勝つんだろうか、と改めて最近思ったのだった。

 

服部勇馬

さて、スポーツ選手の兄弟であれば、下の子の方が強くなる。と改めて感じたばかりだが、設楽兄弟と対象的に兄が活躍しているのが服部兄弟だ。学生時代から弟弾馬が兄勇馬の存在を超えることはなかった。これは、かなり珍しいパターンではないかと思う。

 

服部勇馬は、東洋大学に入学し、1年生にして、全日本大学駅伝のアンカーに抜擢される。この年、当時3年の駒澤大学窪田忍が同じく全日本のアンカーをつとめていた。1位で襷を受け取った服部は追われる立場の中必死に1位でのゴールを目指す。しかし、駒澤の窪田は前を走っていた服部をあっという間に抜き去り、そのまま優勝のゴールテープを切ったのだった。当時駒澤の窪田は学生長距離界のエースだった。更にこの年の全日本は窪田にとって絶対に負けられない大会だった。何故かというと、全日本の1ヶ月前に行われた出雲駅伝で駒澤は大失敗し5位という悔しい結果に終わっていたからだ。この結果を受けエース窪田は頭を丸刈りにして気合を引締め全日本に臨んでいたのだった。(高校駅伝に出ている選手は丸刈りの子が多いが、)高校卒業したばかりでもない大学3年生。かつ、エース選手の丸刈りは私にとってはかなり衝撃的で、相当な覚悟が感じられた。その窪田に1年の服部が勝てるわけない。それは最初から分かっていたものの、必死に逃げきろうとする姿と、窪田に抜かれる瞬間のとてつもなく悔しそうな顔は、来年以降、絶対的エースになることを強く感じさせた。

このとき、設楽は服部の2学年上の3年生。服部は当時から設楽の背中を追ってきたはずだ。MGCでの服部の注目度はそれほど高くないものの、先輩設楽に是非喰らいついていって欲しい。

 

設楽、服部と今回2人をピックアップしたけれど、MGC出場選手を出身大学別に見ると、実はこの2人と同じ、東洋大学出身者が最も多い。男子選手31名のうち東洋大学出身者は5名、続く青学出身者は4名と大差は無いものの面白いと思った。私はマラソンより大学駅伝の方が好きだ。ただ、選手にとっては大学駅伝は競技人生の内の、ほんの通過点に過ぎない。ほんの通過点に過ぎないけれど、その大学選びでその後の競技人生が大きく変わるだろう。大学駅伝への注目度は年々上がっているように感じる。一番注目されている大学に入ることが、自身の競技人生の土台としてふさわしいのか?私はそんなえらいことが言える立場でもないし何もわかっていない。けれど、通過点に過ぎない駅伝に翻弄されずに、その後も活躍し続ける強い選手達が今後も生まれてくればいいなと思う。東京でオリンピックが開かれるから、とかそんな理由がなくなっても、そうであり続けてほしい。

MGCへの期待

※超長いです※

 

今週日曜日の9月16日にMGCこと、マラソングランドチャンピオンシップがある。

ラソングランドチャンピオンシップ?と思う人が世の中には多いと思う。そうであってほしい、、、!というのが心の声。笑

MGCとは、来年の東京オリンピックのマラソン日本代表3名のうちの2名が確定する代表選考レース。(情報が間違ってたらごめんなさい)

 

MGCが認定したこれまでの各大会でMGC出場権を得た選手だけが出れる、東京オリンピック出場をかけた決勝戦のようなもの。

つまり、日本の現代のマラソン界を引っ張る選手たちがまとめて走ってくれる、ファンとしてはこんな機会二度とないのではと思えるレースなのです。

 

そんなレースが都内で行われる。ファンとしては混雑してほしくないので、冒頭で知らない人が多くあってほしい。と書いた。

 

そんな訳で、ここ最近、朝の通勤時にMGCの交通規制ののぼりを見るとすごくワクワクする。

昔、大学3大駅伝が始まるときに感じていたドキドキを今、久々に感じている。

どうしてこんなに楽しみなのかというと、MGCに出場する選手の多くが、個人的な箱根駅伝黄金世代に活躍していた選手だから。あくまで個人的!!!な黄金世代!!笑

 

こんなに楽しみならば、この機会に専門家でもなんでもない私の意見をぶつけてみても良いんじゃないかと思った。ということで個人的黄金世代の数名をピックアップして勝手に私の中の思い出を振り返りたい。笑

と思ったけれど難しかったので、大迫君についてのみ書きたいと思う。

 

大迫傑

MGC出場選手の中で最も注目度・知名度が高いのは大迫君だと思う。大迫君と言えば箱根駅伝1区での凄さを真っ先に思い出す。大学1年の時、自身初の箱根駅伝で1区に抜擢。1年にして序盤からトップに踊り立つとそのまま独走して1区区間賞を獲得した。箱根駅伝の1区は毎年読めない。かなりのスローペースで最後まで持ち込み、団子状態で2区に襷がわたることが多い。一斉スタート後、失敗が許されない大事な1区だからこそ、ハイペースに持ち込むのはかなりの勇気がいると思う。そんな中、初の箱根駅伝にも関わらず、真っ先に先頭に立ってそのまま独走したあの姿は忘れられない。ただ、大迫君の強さを更に感じたのはその翌年だった。翌年2年の時も箱根駅伝1区に抜擢。前年の独走を誰もが知っていた。今年も独走するに違いない。大迫君に対するそういう読みがあれば、他大学の選手は”先頭でレースを引っ張らなくて良い”という安心感が正直生まれるのではないかと思う。途中まで気持ちよくついて行って、最後に抜かすというプランが出てくる。レースを先頭で引っ張るというのは、後ろを走るよりも精神的に圧倒的に不利な面が多いからだ。そんな中、大迫君はこの年の箱根でも1区を独走。前年ほどの大差はつけられなかったものの、2年連続の1区区間賞を獲得した。2年目で周囲にも読まれている中、1区で先頭に立ってレースを進め、かつ、そのまま1位を獲る凄さから、別格だなと感じた。

社会人になってからはアメリカを拠点としていたので、正直動向がよく分かっていなかった。が、男子マラソン日本記録保持者となり、更にパワーアップしてついに帰ってきた!とわくわくした。アメリカのナイキオレゴンプロジェクトでの練習はかなりハードらしい。そんなハードな練習の中、彼は練習の時はなるべく心を持たないようにするらしい。「辛い」とかそういった感情を捨てて練習するらしい。(こういうニュアンスの記事をどこかで見たので、正確さには欠ける・・)それを読んだとき、もう想像できない境地だなと感じた。MGC、個人的には大迫君には1位で神宮に帰ってきてほしい。いつかのトラックレースの時に感情むき出しにして悔しがっていた姿は、MGCという大会では絶対に見たくない。

 

さてさて、大学駅伝ファンからすると、こうやってどうしても各選手の大学駅伝時代を思い出してしまう。AERAムックが出版しているMGCガイドブックでは各選手のプロフィール欄に、大学3大駅伝(出雲駅伝全日本大学駅伝箱根駅伝)出場経験有無の記載項目があった。昔、大学駅伝に力を入れすぎるせいで日本男子マラソン界は結果を残せないのではないか、と言われていたこともあった。しかし、今では大学駅伝で結果を残していた選手達が、着実にマラソン界でも結果を残すようになってきている。それは、MGCのプロフィール欄に駅伝出場経験有無が記載されるようになったことからも分かる。

ただ、この現象は、2020年にこの日本でオリンピックが開かれるからなのか?と思ったりもする。2020年の東京オリンピック開催が決まったのは2013年。大迫君は当時大学3年生。大迫君の前にマラソン男子日本記録を更新した設楽悠太も同じく当時大学3年生だ。学生駅伝一本ではなく、学生時代から世界を意識する良いきっかけとなったのが東京オリンピック開催決定だったのではないかと思う。それだけに、やはり”母国開催”のインパクトは計り知れない。

 

現在放送中のNHK大河ドラマ「いだてん」では、オリンピック母国開催を目指して力を尽くす人たちの様子が描かれている。海外で開催されるオリンピックですらあんなに人をわくわくさせているのに、それが母国開催となると、どれほどのものなのだろうか。。

 

話は来年のオリンピックまで少し飛んでしまったけれど、まずは今週に開催されるMGCを思う存分楽しみたいと思う。今回初めて駅伝に対する気持ちを文章にしたので、突然大学駅伝の色々な思い出があふれて書きたくても書けない、なんとも言えない気持ちになった。追加で上手く文章化出来たら良いなあとぼんやり思う。

育児と仕事の両立

初めに、私が育児をしている・妊娠しているわけではありません。

今日は、職場の同じチームで今育児をされている方を見て思ったことを、なんとなく残しておきたいなあと思いました。

 

私のチームには育児をされている女性の先輩(以後、Aさん)がいる。Aさんのお子さんは結構体が弱いらしく、体調を崩してしまうお子さんの面倒を見るため、Aさんはやむを得ず仕事を休むことが多い。"多い"と書いたけれど、チームに迷惑をかけているとかそういうのは個人的には無いと思っていて、むしろそのくらい休むことになるのって当然だよなあと思っている。

 

ここ最近、お子さんの体調の関係でAさんは1週間くらい休むことになった。

Aさんが休み明けの日、その日はたまたま、私含むチームの数名がお昼休みに業務をしなければならない日だった。これは人員が足りていなくて昼まで働かないといけないとかそんな状況では全く無くて、私たちの仕事とそのお客さんの関係などを考慮してどうしても昼休みに作業をしないといけないというものだった。(昼休みをずらすなんて年にこの1回くらい。)

 

ただ、Aさんは昼休みにも働いている私たちを気にして差し入れを買ってきてくれた。「みんなお疲れ様です。お昼取れてないからよかったらこれどうぞ食べてね。」そんな感じで差し入れをくれたのだけれど、私はそれを見たとき、ものすごく失礼だけど、「なんか痛いな。」と思ってしまった。Aさんが差し入れをした本当の理由は私にはもちろんわからないけれど、休み明け、みんなが昼休みをつぶして働いていて申し訳ないな。と思ったからその埋め合わせに差し入れをくれたのかなと思ってしまったのが私の気持ちだった。痛いと思ったのと同時にそんなところ見たくなかった。と感じたのが私の本心だ。

 

私たちはAさんが他の人より多く休んでいるから、忙しくなるということはない。(全くないと言えば嘘なのかもしれないけれど、正直全く感じない)だから、私たちが多少忙しくなっても決して、Aさんのせいだ。なんてことは1ミリも思わない。

私たちはそうなのに、自分が迷惑をかけている。と感じているAさんがいる。

 

少し前にやっていた「わたし、定時で帰ります。」で、吉高由里子演じる主人公が言っていたセリフが忘れられない。

「現場の人たちはみんな不安なんです。居場所がなくなるんじゃないかと怯えたり、認められたくて無理をしたり、孤独な時間を仕事で埋めようとしたり、変わっていく世の中についていけなかったり、誰にもその気持ちが言えなくて怖いんです。」

会社のために自分があるんじゃない。自分のために会社があるんです。

 

私はAさんのことをすごく尊敬している。業務に対する意見はいつも客観的で的を得ていて、スキルもすごく高くて、私だけじゃなくチームの全員がAさんが職場復帰されるのを望んでたと思う。そんなに能力が高いAさんでさえ、休んでしまうことに少なからず罪悪感等を感じているんだと思う。(すべて私の想像だけれど・・) 

 

私はそんなに高いスキルなんて無くて、私が休んでも普通に仕事は回る。Aさんを見ていると、こんなに何も出来ない私が産休・育休を取って復帰したとき、どれだけ肩身の狭い思いをするんだろうと、どうしても考えてしまう。そして、Aさんが差し入れしている姿に、将来の自分をなんとなく重ねて、「なんか痛いな。」と思ってしまった。そんなことを考えていても私は、Aさんをちっとも上手くフォローすることも出来ていなくて、なんと伝えることが一番本人にとって良いのかも分からずにいる。伝えることすべてが、大変な思いをしている相手には中々届かない気がしている。

 

私は会社が雇ってくれるのであればずっと今の会社で働いていたい。でも、やはり今後のことを考えるとすごく不安になる。

・自分が休み明け復帰したとき、出来る仕事はあるのだろうか。

・子供の都合で休みがちになったとき、どれだけ肩身の狭い思いをするんだろうか。

そういう考えがぐるぐる巡って、ちゃんと残したいなと思ったので書き出してみたけれど、書き出すことで別に不安は消えてくれない。

さっき書いたように、会社のために自分があるのではなく、自分のために会社がある。そう思いたいけれど、仕事も出来ないし休んでばかりの自分を会社は受け止めてくれるのだろうか。

 

色々思うけれど、まずは早く、ただただAさんのお子さんも元気になって、AさんもAさんが好きな業務に取り組めるようになってほしい。とは言うものの結局自分のことしか考えられていなくて、元気に働くAさんの姿を見て、私の将来への不安が、少しでも減るといいなあと思う。

占い

学生の時、占いが大好きだった。

当時大好きなんて思っていなかったけど、毎朝の占いとか、携帯の待ち受けの下に文字が流れて表示される、見たくなくても見えちゃう占いとか、全部なんだかんだ見ていた。

少し気になることがあれば、ネットの無料の占いを色々なのを何回も試して。自分の思う結果のものだけを信じていた気がする。

あの頃は占いで一喜一憂して、その日は楽しくもなったし辛い日にもなった。

 

そんな私も、社会人になってから占いを見なくなった。単純にみるタイミングがあわなくなったというのもあるけれど、なんとなく避けるようになった。

ただ何よりも、最近正直、1位の日が来ることもないし、12位の日が来ることもない毎日になったな~と思う。

有休をとってディズニーに行く日も、楽しいけど1位とは思わない。平凡な日。

会社で少し大変なことがあった。けどまあ12位ではないかな。と思う。

 

でも、ここのところ、8位~10位くらいをさまよっている気がする。とか考えて気が沈んでいたら、今年はお正月に引いたおみくじが凶だったことを思い出した・・!

こんな日が続くのだろうか。

 

学生のときは占いでテンションが上がったり下がったりしていた自分がかわいかったなあと思う。

今の私はなんなんだろうなあ。

3つの顔

新しく買ったノートパソコンは、顔認証でログインが出来る。

初めて自分の顔を登録したとき、私はばっちり化粧をしていた。

色々な設定が終わってお風呂に入ってもう一度ログインしようとしたとき、ノートパソコンはログインさせてくれなかった。

私はパソコンの説明で言われるがまま、精度を上げるためにすっぴんの顔も登録した。

別の日、眼鏡をかけてログインしようとするとログインできず、「あれ、前眼鏡かけてなかったっけな」と思いつつ眼鏡の顔も登録した。

私はこのパソコンに、3つの顔を登録して、やっと不自由なくログイン出来るようになった。

 

話は少し変わって、会社で配られているスマホは、目の虹彩認識というものでログインできる。顔認証の目だけバージョンだ。

これも、化粧をしている=眼鏡をしていないときでないと反応しない。眼鏡をしていても昔はログインできたのに、最近全然できなくなってしまった。

 

パソコンもスマホも、認証に失敗する度に、私の顔は一つなのに!!と思う。

そして、すっぴんがそんなに悪いか!と思ったりする。

寝起きはばっちり一重なのに、少し昼寝をすると運よく二重になったり、化粧を頑張った日はなんだか目が大きい気がしたり。

そんな私の顔だけど、整形とかアイプチなんてせずに頑張ってるんだから、一回で認証させてほしい。

でもまあきっと、すぐにそんな未来は来るはず。

 

漫画みたいな出来事

電話は不思議なツールだと思う。

メールともLINEとも違う、はたまたテレビ電話ともなんだか違うものだと思っている。

 

こんなことをふと思ったのは、古い漫画を読んだからだ。

1990年代~2000年前半頃に出版されていた漫画で、漫画の世界は当時のごく普通の生活が書かれている。

主人公もいたって普通の女子大生で、その子は友人と連絡を取るとき、自宅の固定電話を使う。

マンションの一室に家族で住んでいるその女子大生は、リビングと自分の部屋をつなぐ廊下で、家族に聞かれないように友人と電話をする。

 

なんだかこの感じ懐かしいなあと思った。

私が電話をよく使っていたのは小学生の頃だ。

休みの日の朝に友人から電話がかかってきて、母からその電話を受け取る。

その頃は子機というものがあって電話の側にいなければならない訳ではなかったので、

大抵、ベランダに出られる窓から外をなんとなく眺めながら電話をしていた。そして、電話を切ると私は遊びに行っていた。

 

携帯を持つようになった中学以降は、正直そんなに友人と電話をすることは無かった。学生時代は毎日のように部活があり、仲の良い友人たちとは毎日顔を合わせていたからだと思う。

この頃にはもう、固定電話を使うこともほとんどなくなっていた。

 

そんなこんなで電話にはあまり縁の無かった私が、唯一、「あれ、なんだろうこれ、今すっごく漫画に出てきそうなシーンだ。」と思ったのは、大学の友人と電話をしたときだ。

彼氏に振られたことを仲の良い友人グループのLINEで伝えたところ、その中の一人からいきなり電話がかかってきた。

「〇〇(私の名前)、だいじょうぶ?いやー、私も彼氏と別れた時友達から電話かかってきてさあ、めっちゃよかったんだよね~」

そんなことを確か言われた。

この電話には私も確かに救われたと同時に、こういうときって、電話とか本当にするんだと思うと笑えてきたのを覚えている。

 

漫画を読んで、電話を見て、今の家に引っ越す前の自宅で、部屋の窓際の段差があるところに座って、泣き笑いつつこの通話をしたことを思い出した。

 

漫画みたいな出来事は、世の中で沢山起こっているんだなあと思う。

終電を逃しちゃった話をする友人もいれば、会社で目の前の席の先輩から渡された資料に、メッセージ付きの付箋が貼ってあったという話をする友人もいる。

世の中いろいろで、漫画は別に嘘ばかり書いている訳ではないのか。と少し落ち込んだりもする。



大学の友人に電話をもらって嬉しかった私は、いつか自身が慰める側に回ろう。とも思う。けれど、その日はまだ訪れない。

とても良いことだけれど、来ないかなあとなんとなく夢見ている。